名取市の仮設住宅へ

震災後、宮城県は名取市の仮設住宅に住む方たちの支援を続けている水谷あきさんの活動に、私の住む藤野のさとうますよさん(創作作家)、佐藤泰子(イトオテルミー温熱療法士・マイパートナー)と共に8日、9日で参加してきた。   私が水谷さんと初めて会ったのは、震災の年の3月下旬、藤野で行われた震災チャリティイベント。 水谷さんは、自分は宮城県名取市に藤野に来る前に住んでい たこと、名取市のために何か支援することを望んでいることを私に話してくれた。 私は皆から言葉を集めて作った支援ソングをそのイベントで100人ほどの方 と公開コーラス録音した忘れえぬ日。何かしたい・・という気持ちを持った多くの方が集まった日だった。    その後彼女は一人で支援活動を始め、ほぼ毎月、あるいは月に何度も名取市に足を運び、支援活動を続けてきた。また、彼女の呼びかけにより、多くの物資やたくさんの方の気持ちを避難生活を続ける方々に送り届けることが続いている。 道中、彼女はこんな話をしてくれた。 「私は今まで外国も含めていろんな所に住んだけれど、名取に住んでいた時期ほど、人の親切、暖かさを感じたことはなかった。だからこうして今、恩返しのような気持ちも含めて活動を続けている・・・」 そんな彼女の活動はどれだけ多くの方の心に暖かい明かりを灯してきたことだろう。彼女と話をするお年寄りの方たちの穏やかな顔を見るに付け、築いてきたその絆を感じ…

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被災地応援ボランティアに

郡山(福島県)、亘理町(宮城県仙台市の南、相馬の北)と行って来ました。 郡山は家内の実家。亘理(わたり)町は友人家族がいます。 まず地震の直接被害規模 ・郡山も亘理町も同程度。 ・郡山では傾いたビルがあったり、家内の実家の外壁も多く崩れていた。 ・亘理町では役場の建物がダメ。外にコンテナなどで対策室が作られていた ・瓦屋根は両方とも被害が多かった。 亘理町は津波の被害があった所で、友人の家は海から2キロ以上離れていたけど床まで水がきた。車は流されダメになった。 飼い犬のチャコちゃんは庭で木に捕まり、首だけ出している状態でぎりぎり助かったらしい。 日中は出入りが規制されるからと、朝6時に友人と車で出た。 そこから海に向かうとだんだんと被害が激しくなり、映像で観てきた世界が広がる。 友人も「ここには友達の家があったはず・・・」と嘆く。 道路は自衛隊が瓦礫をのけてくれたので確保されているが、それ以外はまさしく瓦礫の海で言葉を失くしてしまう状態。                  海から昇る朝焼けがなんとも私には無常観を漂わせていた。     津波は4キロ以上離れた国道まで押し寄せていた。 亘理町の畑や田んぼも海水や汚泥、瓦礫が溜まり壊滅的。 復興を思うと気の遠くなる風景だ。 そして予約してあった震災ボランティアに。 ボランティアセンターには400人くらいの人が集まり、活気が・…

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